目次
スケッチ
ノート

 夜眠る前、通学の電車の中、お風呂に入っている時、テーマについてぼんやり考えていると、かきたいことがだんだんかたちになってくる。かき出しの文章が浮かんで、ようやく原稿用紙に向かう。けれど、ここからが難しかった。
 800字というのは、微妙な字数である。ストーリー小説をかくには短すぎるし、詩のような文章でうめるには少し長い。いきおい、私はテーマが呼び起こす「風景」「情景」「場面」のようなものを切り取って描写するということを主として800字の文章をかくようになった。これは結構字数にぴったり来たのだ。と言ってもそうそうかきたいことがぴったり800字に収まるわけではない。800字に足りない分には短い文章をかき足せば良かったが、入り切らない時は本当に困った。原稿用紙はあと二行分しかないのに、どうしてもこの表現を入れたい、使いたい。そうしたら今までかいた所のどこかを削らなきゃ、じゃあどこを?最後はこの作業の連続だった。
 なかなか大変だったけれども、この作業は、文章から無駄な表現を極力なくし、それでも伝えたいことを間違いなく伝えるための、貴重な訓練だったと思う。



image

<< 前のページに戻る
2/4

 私はまた、配られるその文集を読むのが本当に好きだった。小さい時から本を読むのが好きで、いずれ文章をかく人になりたい、と思っていたけれど、そこに載っている同級生たちの文章はいずれ劣らず本当におもしろく繊細で、私は自分には特別に文才があるかもしれないという思いを、ろくに抱く前から打ち砕かれた。
 けれど不思議と嫉妬は感じなかった。自分が特別ではないということに悔しさは感じたけれども、そんなことはどうでもよいことに思えた。それより、巧い文章を読むこと自体が純粋に楽しかった。(思えば、この時嫉妬にかられておもしろい表現を盗むとか真似するとか、焦って書きまくる、という方向に向かっていたら、私の現在も違ったかもしれない・・)

 それから、かいた文章に寄せられた感想を読むのがおもしろかった。基本的には「好きだ」と思う文章に寄せる感想なので好意的なものが多いのだが、私の意図とは違う受け取られ方をしていることもしばしばあり、戸惑いもした。
 例えば、必ずしも「恋人」を想定して「彼」という表現を使ったわけではないのに、読む方は「彼」を「恋人」だと解釈していたり。100字の文章をかいたら続きがあると誤解されたり。(「スケッチ」に掲載しているの「みどりの話」をかいた時、実際そういう感想が来た。「短い、続きが読みたい」というやつ。おいおい、続きはないよ・・と思った。)
 最も多いのが、「私」を本当の私だと思い、かいていることが現実の私自身に起こったことだと誤解されること。もちろん、そんなことはない。自分自身が経験してきたことは頭の中の引き出しにいくつも入っていて、感情や風景の描写に使うことはあるけれど、そのままの出来事を物語にする方が難しい。だいたい、かいたものがたりが全て私の経験だったら、私には全く想像力(創造力)と言うものがないということになってしまう。そんな殺生な。
3/4
続きを読む >>



ダイアリー
プロフィール
感想など

指鉛筆・目次スケッチノートダイアリープロフィール感想など