目次
スケッチ

SKETCH 〜みじかいものがたり〜 photo

TITLE: 春走り
  夕暮れのブランコ
  レースのカーテン
  灰色の眼
  針の雨
  距離感
  時期はずれの休暇
  アクア
  夜明け
  白熱灯
  白日夢
  ピアノ
  「過去」を抱きしめる
  西陽の想い出
  みどりの話
  ある女性の死
 

『時期はずれの休暇』

 その電車の扉は手でひらかなければならなかった。到着したのは夕方だったのに、外へ踏み出した瞬間、明け方のようなしんとした冷たい空気が私の頬をぬぐい、身体に入り込んできた。東京より高い場所にあるここでは、もう冬が始まっていた。
 無人の駅舎を抜けると、鋪装されていない空き地に迎えらしき車が数台止まっていた。大きな建物はひとつもなかった。目的地へは最寄りのこの駅からでもたっぷり30分歩く。私は車を断っていた。誰とも関わらない休暇を始めたかった。

 空の色は淡く、針葉樹が風に揺れている。
 時間を確かめたくなるたびに思い出す。
 携帯電話を置いてきたこと。自由だということ。自由がこんなにおぼつかないこと。

 知人の別荘に着いたときには陽は沈んでいた。慣れない手付きで鍵を開け、明かりをつける。やわらかな木目調の家が私を迎えた。
 −無事着いたよ。遠かったでしょう、携帯にメール入れたのに返事ないから心配してた。ごめん、携帯持ってこなかったの、腕時計もノートパソコンも。−
 人と話したのは何時間ぶりだろう。誰もいないログハウスで置いた受話器が暖かかった。

 荷解きをし、部屋を簡単に整えた。暖房を入れ、ホットウィスキーを作る。突然圧倒的な淋しさが私を襲ってきた。
 昨日まで追われて追われて気が狂いそうだった。それでも、仕事が、オフィスが、仲間達が、そして家族が懐かしかった。自由が欲しくて、私を繋ぐもの全てを置いてきたのに。
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